孫と天使と二の腕

キリシタンのジャニオタでえ〜〜すイェイイェイ

私とSHOW BOY

 SHOW BOYは楽しかった。

 あまりの楽しさに観た直後は語彙力が死んでいた。というのもあるし、単純にその引っかかりを忘れていた、というのもあってなかなか文章にしようという気が起こらなかった。

 が、いろんな方の感想を見ていくうちに自分でもやはり書いておこう、と思えてきたので筆を執った次第です。

 感想というより黙想です。キリシタン目線で見たSHOW BOY。

 

「人生って変えられるの?」

 楽しい楽しいSHOW BOY。その中で、私は二度の「引っかかり」を感じていた。


 少女が越岡ギャンブラーおじさんに言う。「人生って変えられるの?変えられないの?」そしておじさんは最初にこう答えた。「見りゃわかるだろ」

 変えられる、と言えば人生に希望が持てる人がいる。変えられる、と言った方がきっとあの作品の中では正解に近い。

 ここでキリシタンである私は立ち止まって考えてしまう。なぜなら、この質問に対する教理的な答えは「変えられない」だからだ。

 すべては父なる神の永遠の計画のうちにある。だから人間がどう足掻いたところでその計画が覆ることはない。その人に定められた人生を変えることは不可能なのである。

 しかし人生を変えることが不可能だからと言って、おじさんの最初の答えが教理的に正解かと問われればそれもまた違う。神の計画は見てわからないからだ。良いことにしろ悪いことにしろ、「こうなるだろう」と予想したことがすべてその通りになるばかりが人生ではない。

 「人生は変えられる」という傲慢も、「どうせこのままだ」という諦めも、どちらも不信仰といえる。

 

旧約聖書コヘレトの言葉3章1〜8節

日本聖書協会共同訳より)

天の下では、すべてに時期があり

すべての出来事に時がある。

生まれるに時があり、死ぬに時がある。

植えるに時があり、抜くに時がある、

(中略)

愛するに時があり、憎むに時がある。

戦いの時があり、平和の時がある。

そして11節でコヘレトはこうも語る。

神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない。


 分岐点で自分で進む先を決めた結果だったり、あるいは他人の選択に巻き込まれることで、人生が思わぬ方向へ傾くことがある。それも「その時」だからだ。

 おじさんが起業したのも、山を売ったのも、勘当されたのも、全財産失ったのも、少女と出会ったのも、その時だったからだ。

 何もおじさんだって、初めから「見りゃわかるだろ」と投げやりだったわけではない。何かが変わることに望みをかけてカジノへ行ったはずだ。おじさんは、希望を知らない人間ではなかった。

 おじさんは出会うべき時に少女に出会い、彼女との対話の中で変わる。悲観的だったおじさんは、自分の人生のその瞬間を楽しめるおじさんに変えられたのだ。それらは時に適って麗しく実現された。


 私が出したキリシタン的回答は「人生は変えられないけど変えられる」だ。

 前者の「変えられる」は自分の力で、後者の「変えられる」は自分以外の力で、だ。

 たとえば、信仰を持って洗礼を受けた人は皆こう言う。「神によって変えられた」「それまでの人生とは180度変わった」。これらは、「変わる」ことが神の計画のうちにあったからだ。

 おじさんは少女に、自分が変わった瞬間を見せることができた。

「人生は変えられるって、わたしに証明して見せて」

 少女はきっと、おじさんが約束を果たしてくれたと心から思っている。そこに水を差すことはキリシタンの仕事ではない。彼らのその幸福は受け入れられるべき幸福だ。

 少女はおじさんが人生を変える瞬間を見たし、私はおじさんが変えられる瞬間を見た。

 

 

「もったいないことしようよ」

 また頑張ってそれでもダメだったらもったいない、と自嘲気味に言うエンジェルに、見習いくんは言った。「もったいないことしようよ!」

 ふたつあったうちの、もうひとつの引っかかりがこれだ。

 私、もったいないことちゃんとしてきたか? という突然の自問自答が始まる。

 私は自分でできることをしていたい、と思うタイプの人間だ。できないことをするための苦労はあまりしたくないし、できればずっとヘラヘラしていたい。キャリアアップのためのセミナーなんててんで興味もない。ひょっとして、エンジェルの言う「もったいない」にすらたどり着けていないのでは?

 もったいなさを否定はしない。私だって友人が努力していれば応援するし、その結果で得たものを共に喜ぶことだってある。努力は美しい。しかし、だからこそ眩しい。


 観劇から2日が経ち、眩しさに目を細めながら作品を咀嚼していた私は突然気が付いた。

 私、もったいないことしてるんじゃない?

 日曜日。仕事は休み。そんな日に私は普段と同じ時間に起き、会社に行くよりも早い時間に家を出る。

 そして長い日は夕方まで教会にいて、今日も頑張りましたね〜と家族と労いあいながら帰ってくる。これが毎週だ。もちろんノーギャラ、子どもたちに聖書のお話を教えても一円も給料は出ない。

 時には土曜の時間を使ってチラシを作ったり会議をしたりする。

 これはもしや、「休日返上」という世間様から見ればもったいないことなのでは?


 新約聖書に、「タラントンのたとえ」という例え話がある。

 ある金持ちが、旅に出る前に三人の家来にそれぞれの力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けていく。

 5タラントンの者と2タラントンの者はそれを元手に商売をして、倍の金額にした。しかし1タラントンのものはそれを地面に埋めて隠しておいた。

 主人が帰った時に家来たちは各々増やしたタラントンを差し出したが、1タラントンの者はそのままの額を主人に返した。主人に褒められたのは、タラントンを増やした家来だけだった。

 要するにこれは「与えられた才能を神のために使え」という意味の話なのだが、もしタラントンを預かった家来がそれで商売をして儲けがほとんどなかったとしても、主人はその家来を祝福していただろう。

 このタラントンは当時のギリシアの通貨だが、この例え話が転じて今日の「タレント」、つまり才能の語源になっている。キリシタンは才能に限らず、与えられたものをタラントンと呼ぶこともある。

 1タラントン預かった家来は「もし5タラントンを元手に商売して、失敗したらもったいない。そのまま取っておけば確実に満額お返しできる」と思ったのかもしれない。

 5タラントンと2タラントンのふたりは、もったいないことをしたのだ。

 人が来るか来ないかわからない集会のためにチラシを作る。配る。貼る。私たちはそんなことをもう何年もしてきている。

 ああ、なんてもったいないんだろう!

 チラシを1500枚配って足を運んでくれた人が1人でも、それだけでも10タラントンレベルの喜びだ。

「もったいないことしようよ」

 見習いくん、いいこと言うよね。

 

 

与えられた仕事をする

 主演ダンサーに向かって、裏方は言った。「お前はお前の仕事を全うしろ。俺は俺の仕事をする」。

 与えられた仕事がその人にとってのタラントンだ。主演ダンサーには主演ダンサーの、裏方には裏方の仕事が与えられている。

 その後、主演ダンサーの代役として裏方はステージに上がる。それも彼の仕事だ。その日与えられる仕事がいつもと同じアイロンがけだとは限らない。

 舞台上で輝いていたマフィアも、自分に与えられた本当のタラントンを見つけた瞬間だったのかもしれない。あの夜の彼の仕事は拳銃の取引をすることではなく、ディーバとなり舞台に上がることだった。人を喜ばせる仕事をしたかった、と吐露した彼もまた、人生を変えられたひとりだ。

 宗教改革で有名なマルティン・ルターは「たとえ明日世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える」と言った。その翌日にリンゴの木を植えることを、彼は以前から決めていたからだ。

 だから私も、自分の仕事をしたい。

 世界の終わりの日、「今日、お前は何をしていたか」と問われた時に「与えられた仕事をしていました」と言えるキリシタンに私はなりたい。


 もし、SHOW BOYが「人生を楽しむことの美徳」を押し出し「さあさあ、君はどうする?」と問いかけてくる作品だったら私はここまでSHOW BOYを楽しめていなかっただろう、と思う。

 SHOW BOYは、「ぼくたち楽しんでまーす! イエーイ! 生4つー!!!!!」と楽しむだけ楽しんで、その楽しい塊をひたすらこちらに豪速球で投げかけてくる作品だ。観劇後何を考えるか、そもそも考えるかどうかの選択も、観客のまったくの自由だ。あの船は考えろ、とは言わなかった。ただ「観てくれ」と訴えてくる、それがSHOW BOY。

 よいものを誰かに伝えたい時にかけるべきなのは圧ではなく、愛情と情熱と与えられたタラントンだということをSHOW BOYは教えてくれた。

 だから私は、SHOW BOYをずっと好きでいられる。

 


 Ride on! とふぉ〜ゆ〜が拳を突き上げる。その瞬間、「ああ、私は私に与えられた人生を自分のために楽しんでもいいんだ」と心から思った。

 私はよほど神様から心配されているのか、一見なんの関係もなさそうなところから自分の信仰を見直したり様々なことに気付かされることがよくある(これを「真理契機」と言います)。まるで、私がキリシタンでなくなる瞬間を作らせないようにされているかのように。

 日曜日だけ、礼拝の間だけでなく、私は生きている限りキリシタンでありたい。その信仰を持ったまま、喜んで、楽しんで生きていきたいのだ。


 私がSHOW BOYという作品に出会えたのも、時に適って麗しいのだ。ガハハ!

 

 

 

 

 

 

※これはひとりのキリシタンが観たSHOW BOYの印象であり、実際に脚本にこのような教理が意図して描かれていたことを証明するものではありません。ということをここに付け加えておきます。

【ネタバレ】ラスト・ホールド!を観たんだよ!

自担の初主演映画「ラスト・ホールド!」を観ました。

思ったままの感想を書きます。

思ったままなので身も蓋もないようなこと言うかもしれないし、逆にでろでろに甘やかすようなこと言うかもしれないです。

ネタバレしかないです。

 

 

*****

 

ストーリーに関しては「この出演メンバーで丸く収まらないバッドエンドはありえないよな」と思ったので、少々の御都合主義なら全然受け入れるつもりで行ったら清々しいまでに全てがうまくいって驚いた。ボルダリングは!地球を救う!

 

【好きな御都合主義ポイント】

①雨の中走ったら髪が金に戻る

クライマックスのシーンでも岡島は黒髪なんかな?と思ったらまさかの金髪で登場。

やっぱり塚ちゃんは金髪でないとね!というこちらの期待を裏切らない。

しかし雨で色が落ちるような毛染め、どこでやったのか逆に知りたい。

②河口

中学生でボルダリング界から追放されて大学1年で復帰したわりには色々できすぎる河口。

戻らないと心に決めていたのに「賭けに負けたら部に入る」とか言っちゃって、負けて入部しちゃって、そのまま個人戦までは割としれっとボルダリングしちゃう河口。

そして最後、岡島の後にクライミングする河口。おいしいとこ全部持ってく河口。最後岡島じゃねえのかよ河口なのかよ好き。。。。。。

③高井戸のバンドエピソードの薄さ

途中高井戸の元バンド仲間が「戻ってこいよ高井戸!」みたいなのあるのかと思ってたらなかった。

人と一緒にやっていくのが苦手とかなにその設定……内心「でしょうね!」って思ったけど!

でもボルダリング部の仲間とは一緒にやれる高井戸、もうお前はボルダリングやるために生まれてきた男だよ。

④新井の訛り

もうあれはずっと訛ってるのしんどかったんだろうね!いいんだ、ありのままのふっかが観れたから!レリゴー!!

⑤岡島の内定

出す!?!?面接途中で飛び出した奴に内定出す!?!?!?

あそこで別に内定出ても出てなくても映画はきれいに終われただろうにわざわざ内定出たエピソード入れてきたのフルスイングで楽しいな……。

久ヶ沢徹の仁義あふれる人事!(ここで面接官役に久ヶ沢徹さんがいたのがもう嬉しすぎてむせび泣いた)

 

【このシーンが好き!Snow Man編】

①涼しい顔で壁伝い歩きをする河口

みんな手を挙げてプルプルさせてるのに河口一人だけ後ろで手組んでスッスッと歩くの惚れるしかない。好き。

②ダンスが下手な河口

岩本照がダンス下手なわけないじゃん?でも河口は下手なんだよ……全然踊れてないの……なんだろうもうあれ……好き…………

③「買ってきたのは俺だから」

好青年を絵に描いてそのまま飛び出してきたような(※イメージ)阿部亮平くんが「俺が金出した」を強調するのすごいクる……

④見せ筋を自覚している高井戸

ベタベタ触られるのを嫌がる風でもなく、「見せ筋肉だ!」と指摘されれば「やはり、わかりますか……」

いや自己分析めちゃめちゃ出来るやつやん高井戸すげえな。

⑤二度の「哲学科一年?俺も」

サークル一緒に回ろうよ〜の時と、河口離別後の二度の桑本天使案件。そこ天丼してくるなんて思わないじゃない。天使天使。

人数足りないならスカウトしに行くしかねえな!って新人探しに行くのかと思ったらまさかのターゲット絞った勧誘だよ。河口にロックオン。君のハートにタッチダウン

ていうか河口と桑本が哲学学んでるのアツい。

⑥「見せてみなさい」

昇竜大学の先生にケガ見せたときのさっくんの「アツっ(びくっ)」が天才的にかわいかった。

⑦桜庭に気付くのが超遅い桃田

桜庭出てきてだいぶ経ってから「桜庭ぁ?」って絡み出すのめっちゃ笑ってしまった。お前何のためにボルダリング始めたんだよ!!!個人戦の時も桜庭の名前見てスルーしてたなお前!

⑧フォークでパスタ絡め取って食う河口

一口が大きい河口。な二度の食事シーンで両方パスタ食ってる河口。パスタ好きなの?おばちゃんも好きだよ!!!!

 

【このシーンが好き!塚田僚一編】

①スクリーンいっぱいに映し出されるシーン全部

美。塚田僚一という美。

②「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

「意外と孤独好きだよな、岡島さん」

(明るく元気でみんなを引っ張って行く存在かと思いきや、美しい横顔を俯かせひとり物思いに耽る岡島健太郎のエモさ)

③おかじまけんたろう

選手登録がひらがなな上にめちゃくちゃ字が下手なのやばいかわいい孫。

④スーツでクライミング

揺れるネクタイ。黒い前髪。自分に打ち勝つ岡島健太郎。

それ就活用の一張羅でしょ……チョークで汚れちゃうよそれでも登りたいんだねいいよいいよおばあちゃんがクリーニング出しておくからねえ…………

⑤まあぶっちゃけ岡島出てるシーン全部

もう語るのがおこがましいよねって思えてきた……だって塚ちゃんの横顔が尊すぎて……

 

【全体的な印象】

要するに闇堕ちした河口を岡島はじめ仲間達が救った話でしょ?

 

塚田僚一・岩本照ダブル主演

もしくは

Snow Man主演 特別出演塚田僚一(太陽役)

と言われてもおかしくないな、と思えるほどSnow Man、特に岩本照が輝いていたよ。ひーくん闇堕ち青年ちょう似合うね!?

もちろん塚ちゃん=岡島の話ではあるんだけど、きっと後輩6人で2時間の映画つくろうと思えば余裕で作れる。

ラストシーン、「掴め!ラスト・ホールド!!!!」って叫ぶのは岡島で、掴むのは河口なんだもんな。

河口でもう一本映画行けるって。

河口くん保護したいです。

 

正直、自担の主演映画観に行ったのに「岩本担めっちゃ羨ましいな」と思いました。

いやもちろん塚ちゃんはほんと誇りの自担ですよ。初主演映画があれで、本当に良かった。

でも岩本照がずば抜けていい役をもらっていたのですよ。自担があれをやるってすごく嬉しいと思う。私なら。

まだ観てない岩本担はなるべく早めに観に行ってほしい。マジで。岩本担の知り合いいないけど。

 

あと最後にこれだけ。

永野宗典は壁登らねえのかよ!!!!!!!!

 

キリシタンがGACHI千穐楽を見てベショベショに泣いた話

超久々のはてブ
ブログ向いてない私がまた何かを書きたくなった、それだけのものがGACHI千穐楽にはあった。
以下、キリシタンの黙想。深読みをしています。
※クソ長いですが大半が愚痴であとはレポではなくふぉ〜ゆ〜賛歌です。宗教観バリバリ入ってるので気持ち悪いよ!

まず大前提として、タイトルにもあるように私はキリスト教徒である。
GACHI千穐楽は日曜日。日程が発表された時、私は行くのを諦めていた。日曜の礼拝で主と相見える時間は私にとってなくてはならないものだからだ。
しかし、スケジュールを調整すれば都内の教会の礼拝に出席した後シアタークリエに走れば間に合うかもしれない、ということに気がついた。友人から千穐楽のチケット(しかも前方下出通路側。感謝しかない)があると誘いも受けていたので、お言葉に甘える形で千穐楽観劇を決行した。

私が取った宿の近くに、他教派の教会があることを知った。私の所属する教派ともさほど遠くない(と思っていた)派だ。私はそこへの出席を望み、当日無事に時間にも間に合いその礼拝への出席がかなったわけだ。
私が所属している教会は、毎週の礼拝出席人数が30人に満たない。しかしその日私が出席した教会は、300人以上を収容できる会堂を持つ大きな教会だった。
幸い、使っている讃美歌や聖書も母教会と同じもので、礼拝の式次第もほぼ同じ。不自由はなかった。

私事ではあるが、最近家族がある大きな召命を受けた(ようである)。そのことについて日々祈っていたのだが、その日の礼拝説教はまさにそれに寄り添うような内容だった。
家族のことを思い出し、私は初めて出席する教会の礼拝堂で泣いていた。主のご計画は時にかなって美しい。このタイミングで私がその先生の説教を聞けたことは本当に良いことだったと思っている。

礼拝後、ある婦人が私に話しかけてきた。
「今日はどうしてこちらに?」
彼女は笑った。薄ら寒い笑顔だ。口角を上げて目を細めただけの、ただ表情筋を使っただけのような笑顔。
「自分の教派の教会より宿から近かったんです。午後から有楽町で用事があるので」
「うちを選んでくれてありがとう! 普段はどこの教会へ行ってらっしゃるの?」
私が自分の教派の名を告げると、彼女は笑顔のまま言った。
「私も少しだけそちらの教派の教会へ行っていた時期があって、そこの方と仲良くなったの」
オッ、と私は嬉しくなる。私のいる教派はあまり大きい所ではないが、そのぶん横のつながりは強い。もしかしたらその人の友人は私も知っている人かもしれない。
その人の名を聞く前に、彼女はこう続けた。

「でも最近絶交したの! もちろん信仰のことでね」

ハ???????もちろん、とは?
意味がわからなかった。なぜそれを私に言うのか。
〇〇派(私の所属する教派)はこうこうこういうところがあるでしょう、それでその人は頑なになっていて、あまりにも腹が立って絶交を言い渡したの。
彼女は薄ら寒い笑顔のままで、私は乾いた声でハァソウデスカ、ハァスミマセンデシタ、と繰り返すだけだ。

私は心の中で叫んだ。
ロボット着てェ!!!!! 誰にも傷つけられないロボット着てェ!!!!!!!! パンチが世界一周さ!!!!!!!!!

なぜ彼女は、わざわざ私にその話をしたのか。さも「あなたも自分の教派のそういう所でお困りでしょう」というような口ぶりだ。
私は私が育ったその教派のことが好きだ。頭が硬すぎると言われることもあるがそれは外から見た印象だろうと思う(外に対する配慮に欠けるところは否めないが)。
酒だって飲むしタバコだって吸うしジャニヲタだっている。硬いだけの時代は廃れようとしている。聖書に基づいてこの世を楽しむすべを見出し始めているのだ。
それを面と向かってディスられた、初めて行った教会で。
初めて礼拝に出た学生が、自分の学校名を告げて「あなたの行ってる大学はレベル低いよねえ」と笑顔で言われたら次から来なくなるだろう。
初めて教会へ行ったフリーターが「正社員じゃなければ生活も安定しないわねえ」と笑顔で言われたらキリスト教不信になるだろう。
彼女がしたことはそういうことだとわたしは思っている。

最後に彼女は言った。

「また来てくださいね。じゃあ、落語楽しんで!

話を聞いていたのかお前は!
私は「有楽町」としか言っていない。するってえと何かい、お前さん四遊亭歌雄をご存知で? ハッハァそりゃまた嬉しいこって。ちょいと握手しましょうやって
なるかボケ!!

(恐らく「ゆうらくちょう」の「らく」だけ聞き取れて「落語」だと解釈したと思われる)
人の教派をディスった直後になぜ「また来て」と言えるのか。

彼女はご丁寧に「二度目の時はもう、受付通ったら勝手に新来者*1席に座ってくれていいから。本当はこっちが新来者席なの」と礼拝堂の端にあるブロックを示して説明してくださった。

そこが新来者席であることを私は知っていた。だって札がかかっていたのだから。
私を案内してくれた受付の女性は私が信徒だと知るとセンターのブロックへ座るよう勧めてくれて、そのブロックにいた信徒さんも私のためにわざわざスペースを空けてくださったので私はそこに座ったのだった。
なんだそのルール。座るところなんてどこでもいいだろうが。
彼女は薄ら寒い笑顔を崩すことは一度もなかった。

私がその婦人の行動にあっけに取られていると、また別の女性が話しかけて来た。牧師夫人だと言う。
私が知っている牧師夫人とは趣が違った。私の周りの牧師夫人は大半が肝っ玉の据わったジャイアンの母ちゃんみたいな人たちなのだが、私に話しかけて来た夫人は嫋やかでにこやかで、「クリスチャン女性はかくあれ」といった理想像を体現しようとしているかのような雰囲気だった。
夫人は先の婦人のように、私の話もそこそこに自分の教会の話を始めた。
やれ伝統を重んじているだの、やれ毎日勉強会を開催しているだの、やれ旧日基*2がどうだの

うるせえ!!!!!

こちとら伝統を重んじすぎて若者離れ甚だしい教派出身だわ! 毎日勉強会? 牧師休ませてやれや!! 旧日基? 全てのキリスト教徒が自分の教派の歴史に詳しいと思うなよ!

(信徒にいちばん大切なのは信仰だと思っているので日常会話レベルで歴史の話ができるほどの知識は必要ないと思っている)

しかしそこでうるせえ、と思ってしまったことには私側に非がある。本来ならハイハイと聞き流せるような内容だ。しかし先の婦人のおかげで私のイライラゲージはMAXに近付いていた。
牧師夫人は、私を牧師に紹介するからと玄関付近へ連れて行ってくれた。
正直、私はその日の説教をされた協力牧師*3の方にお礼が言いたかったのだけれど(できれば少し話もしたかった)。
玄関付近で牧師は別の信徒さんと話が弾んでいたようだった。夫人はそこに混ざって自分も話し始める。

エッ? エッ???
ワイは??????

そして私の方を向いてニッコリ
「もしお急ぎでしたら…」(玄関を指差す)

ねえwww私あなたに引き止められたからここにいるのwwwwww開演までまだだいぶ時間あるのwwwwww誰かロボット連れてきてwwwwwwwwwそれかロベルト連れてきてwwwwwwwww

そうこうしているうちに協力牧師も見失う。
やっと手の空いた牧師はにこやかに私に話しかける。

「今日はようこそいらっしゃいました( ◜◡◝ )」

以上。

ありがとうございましたwwwwwwwww

その教派自体が悪いわけではない。説教だって本当に良かったのだ。礼拝終わってすぐに先生に握手しに行けばよかったと悔やまれるレベルで良かったのだ。
ただ、私に話しかけてきた人たちが私とウマが合わなかった。それだけのことである。たった2/300が合わなかったというだけのこと。
誤解されがちだが、教会というのは建物のことではない。信徒が集まり共に礼拝を守る共同体のことを「教会」と呼ぶ。
要するに教会とは人の集まりなのだ、様々な者が集う。合わない人だってもちろんいる(たった30人の母教会ですらいるのだ)。
様々な教会がある。その中で私は今回、私にとってのハズレを引いてしまった。ただそれだけのことだ。

が、それだけのことでもイライラはする。
これからGACHI を観るのに、腹のざわつきが治まらない。昼食は抜いた。食べる気分にはなれなかった。

クリエへ赴き、席に着く。空腹どころか、胸の中に何かが詰まったようで吐き気すらする。
これからGACHI を観るのに。トイレにも行かなかった。もう開演間近だ。
もうすぐ始まるというのに見学者のバルコニーばかり見ている客席にすらイライラした。それほど私の精神は綱渡り状態での開幕だ。
なぜ教会へ行って腹を立てなければならないのか。なぜこれから楽しい時間を過ごすはずなのに腹を立てているのか。胸をかきむしって内臓を放り出したい気分だった。しかし時間は止まらない。

開幕。

緑色のライトに照らされた福田悠太がジャケットを羽織った。

っべー。っべーわ。
観るのは5度目である(5度目である)。
しかしこの日がいちばん、よい「フゥ〜ッ⤴︎」が出た。なんなら礼拝でのアーメンより出たかもしれない。
to meのダンスが終わり、ふぉ〜ゆ〜会議のシーン。
辰巳くん「伝統がやりたい!」

ここで松崎くんが天井を見上げるのを観て毎回笑っていたのだが、「伝統」の一言で私の脳裏にイライラがフラッシュバックする。

お?? 伝統ってか? 旧日基批判くるかコラ?(来ねえよ)
そうだった、私はさっきまで腹を立てていたんだった。しかしほんの数分で私はそれを忘れかけていた。すごいぞふぉ〜ゆ〜。ふぉ〜ゆ〜すごいぞ。
どうやら福田悠太さん、ご自身のパイオツがお気に入りのご様子。敬虔な信徒(ここ笑うところです)の私だが、彼らの言うところの「おげれつ」を笑える感性だって一応は持ち合わせているのだ。
ねえ辰巳くん、ポーラちゃんのパイオツは硬いの? やらかいの???

ボロボロボット。
初見時の感想は「闇が深いよ!ふくだくん」(幼年向け漫画のタイトルロゴの雰囲気で)
けれどこの日、私はもはや福田悠太に闇を感じなかった。
「どうして人間はこんなに簡単に人間を傷つけられるんだろうなあって」
\わかるー!!/
もうボロボロボット応援上演やろうや。

何度も観ていくうちに気付いたことがあった。
始めは「闇堕ち仕掛けた福田くんを松崎くんが救う話」だと単純に思っていた。「福田くんは松崎くんが好きねえ!ハイハイ!」といういつものやつ。
確かに話の大まかな流れはそうなのだが。
福田ロボは歌う。

これで傷つかない

もう誰にも傷つけられない

ぼくはひとりで生きていける

ロボットの鎧をまとい、身を守る福田ロボ。ロボは人を信じない。
彼は傷つかない。鎧で身を守っているからだ。しかし、傷はつかないが、攻撃はされるのだ。
彼はただのロボットではない。攻撃を受け続け「ボロボロ」なのである。
そこに現れたコロ助(ちょんまげがどう見てもコロ助なのでそう呼ぶ)は叫ぶ。
「俺は人を信じるぜ!」
コロ助は敵と戦う。福田ロボを庇いながらだ。コロ助の刃は敵に当たらない。コロ助は敵を傷つけない。
コロ助は無敵ではなかった。福田ロボを守り致命傷を負う。無敵ではないヒーロー。自らの身を呈して誰かを守る。強くなくとも。
その姿を見て福田はロボットの鎧を脱ぎ捨てる。泣き喚きながら脱ぎ捨てる。生身の福田悠太が叫ぶ。
「やめろ!」
敵とコロ助の間に入り、敵に背中を見せた福田悠太は丸腰である。殺せる。どこからでも。
しかしそこで攻撃の手は止む。敵は踵を返して去り、福田悠太は生きている。
ロボットを脱ぎ捨て、ひとりで生きていくことを放棄して生身の人間になった彼は攻撃されなかった。攻撃がやんだのではなく、攻撃を攻撃ともしない何かを得たのではないだろうか。
もちろん攻撃がゼロになることはないだろう。世の中には理不尽なことがある。こちらが気をつけていても攻撃を受けることなどザラだ。
しかし鎧を着て攻撃を受け続けることは、傷つかないことよりも苦しい。ひとりで身を守っていると、そこから動けなくなるのだ。
ひとりでいれば自分以外の全てが敵で、全てが攻撃だ。ひとりでなくなる、ということは、敵が減る=攻撃の手数を減らせるということなのかもしれない。
本当は一度で気付きたかったけれど、私は千穐楽でようやく気付いた。ロボットがボロボロだということに。
コロ助は起き上がり、言った。
「おれ、カッコいいか?」
カッコいい「だろ」ではない。「カッコいいか?」。疑問形である。カッコいいかどうかは、福田に委ねた。
そしてその後の福田悠太のニヤニヤが全てを物語っていた。と、思う。
カッコよかったよ!コロ助!!!!

You Raise Me Up、初日は「私の好きな曲!」という理由で感動した。
千穐楽、私はただただ泣いていた。ベショベショに泣いていた。手ぬぐいはリュックの中。視界がぼやけて自担が見えない。クソ。誰だ歳だから涙腺ゆるいとか言ったの。辰巳か。おめーも同じ歳だろうが!

数年前に尊敬する牧師から「僕の好きな讃美歌だよお」と紹介されたのがYou Raise Me Up。
後で調べてみたら別に讃美歌として作られた曲じゃなかったけどな!
しかしこれはキリスト教徒にとってはアーメンの連続である。

私を支え励ます 不思議な愛の力
そこにあなたさえいれば
満たされ強くなるの

これである。そこに主がいれば満たされ強くなる。そこでふぉ〜ゆ〜が踊っていればヲタクは満たされ強くなる。
ゆ〜Raise Me Upである。
誤解を招きそうなので言っておくが、ふぉ〜ゆ〜が神だと言っているわけではない。ふぉ〜ゆ〜はそこにしかいないが、神はどこにでも臨在される方である(これを聖霊と言います)。

この曲の「you」は何にでも当てはめることができる。私はこれを神に当てはめて歌うことがあるが、ふぉゆ担ならばゆきえさんのように「ゆ〜」に、あるいは友人、家族、恋人に。
本当に、曲を作ったふぉ〜ゆ〜の意には反することかもしれないがA.RI.GA Timesにも同じことが言えると思う。
私もうこれ讃美歌として使いたいですわほんと。

隣で笑っててよ この先これから先も迷惑かけちゃうかもしれないけど
隣で笑っててよ この先これから先も感謝してるよ今もずっと
それぞれが生きてきたGood time
それぞれが感じてたBad time
ねえちょっと待って 今の無駄なTime
それもすべて必要なTime
for you

こういう気持ちでキリシタンやってます。
よい時間も悪い時間も、すべて必要だったこと。
よい時間を「生きてきた」けれど悪い時間は「感じていた」。そう感じていたけれど悪い時間ではなかった、の、かも、しれない、ね?
すべての時間というものは、神の永遠の中に存在するものなので、神が関与していない時間はない。
彼らが信じていようがいまいが、神はそこに在る。在る、というのが私の信じる神の名だからだ。

その後のカーテンコールからのGACHI ×4は楽しかった。ただひたすらに楽しかった。
緞!帳!を忘れたことだけが悔しい。地方では必ずやるぞコラァ。

しかし福田悠太。彼が言った。(以下ニュアンス)
「僕たちとみなさんはアイドルとファンいう関係ですけど。みなさん嫌なことあったら友達に愚痴るでしょう。僕らのこと友達みたいなもんだと思っていいんで。僕らを見てみなさんの中の何かになればいいと思うんです」
なんだこいつ。
私は自分の人生すら自分で背負いきれず、十字架に引っ掛けてそこにぶら下がって生きているような人間である。
それなのに彼は、何千何万いるかわからない自分たちのファンの「嫌なこと」を引き受けそれをぶち壊してやるぜ、と言うのである。いやそこまでは言ってないのかもしれないけどそれ的なことだと私は解釈したぜ?
福田くん、心の広さ何億ヘクタール?

「You Raise Me Up」の「Raise Me Up」は、「起き上がらせる」と訳されることが多いが、この「You」を神に当てはめた時、私は「押し上げる」というイメージを持っている。
キリストは神に見捨てられるというこの世において誰も経験したことのない最大の絶望を味わって命を落とした。私は彼より深いどん底に落ちることはない。常に上に座しながら、彼は下から私を押し上げる。
先日、友人は「Raise Me Up」を「引き上げられる」と言った。この日私を引き上げた「You」は、福田悠太だった。
福田悠太が私の首根を掴み、主が押し上げた。なんだこの連携プレー。ごめんな福ちゃん、付き合わせちまって。

帰りの新幹線の中、私はこのことに想いを巡らせそしてある物語を思い出した。
靴屋のマルチン」*4だ。
要するに「神はどんなところからアプローチしてくるかわからないけど気付かされるポイントはどこにでもある」という話なのだが。
私が午前中、礼拝後に感じたイライラは千穐楽を楽しむための、そして福田悠太のメッセージを真摯に受け止めるための前振りだったのではないだろうか。


というようなことを母親に話すと、彼女はこう言った。
「最近さあ。イライラする人の中にも神様はいるんだなあと思うんだよねえ。そこからなんか気付かされるんだよねえ。靴屋のマルチンみたい」
私は靴屋のマルチンの話は母親にはしていなかったが、やはり同じことを考えていたようである。(靴屋のマルチン、というワードが出た瞬間に親子で涙ぐんだ気持ち悪さ)

私にここまで気持ち悪いことを考えさせるようなステージを作った彼らは本当に強いエンターティナーである。
彼らは強い。弱い時こそ強い、って私の尊敬するパウロ先生*5も言ってました!

 

今気付いたけどコロ助もロボットだわ。

*1:初めて教会に来た人

*2:日本基督教会。昔あった日本のキリスト教の教派。うちの教派的に言うと戦前戦中にいろいろ「やらかした」らしい。その反省を踏まえて今の日本のキリスト教があるそうです

*3:大きい教会は牧師が何人もいることがある

*4:http://www.cnet-sc.ne.jp/kohituji/ohanashi/martin.html

*5:世界で初めて目からコンタクトレンズ落とした人

14歳の私への手紙

拝啓、14歳のあなたへ

 あなたは今、高橋譲くんへの担降り直後に高橋くんが辞めてしまいショックを受けながらもなんだかんだ米花剛史くんに落ち着き、MAとそしてゴスペラーズ酒井雄二さんに夢中ですね。あまりにも夢中すぎて親から心配されていますね。でもあなたは思春期、それでいいんです。
 学校にも行かず録りためたMJや少クラのビデオを見漁っていますね。いいですか、それらを捨ててはいけません。14年後後悔します。めちゃくちゃ後悔します。タイムマシンがあればあなたを殴っています。ええ、本気です。
 福田? 辰巳? 戸塚? ちびっ子Jr.はちょっと…とか言っている場合ではありません。彼らはあなたより年下ではありません。あなたは14年後そのことにやっと気付きます。14年後、鼻フェチになっているあなたは福田悠太の鼻のクオリティに平伏します。
 松崎くんを不細工だと笑ってはいけません。14年後、あなたは松崎に恋をします。わりと痛いです。
 塚田僚一、越岡裕貴の名前を覚えなさい。なぜ知らないのですか。
 あなたは数年後、ジャニーズから離れます。もっとたくさんコンサートに行きたい! と思っているでしょうが、残念、あなたはJr.の春コンの後、14年間ジャニーズの現場に入ることはありません。それもMAではなく、あなたが名前しか認識していない戸塚祥太くんの主演舞台です。

 あなたは1年後、まさかの担降りをします。そう、2次元です。流行り始めたONE PIECEハンターハンターなどではなく、今さら感あふれはしているものの不屈の名作と名高いドラゴンボールです。天津飯に恋をします。いいですか、あなたの担降り先は天津飯です。米花剛史からの天津飯です。
 あなたが2年遅れで高校に通っている間に、幼馴染が社会人になりジャニーズにハマります。それを冷めた目で見てはいけません。それは数年後のあなたの姿です。その頃あなたは好みのタイプは泉谷しげるとか言い出します。誰からも同意を得られません。もっとわかりやすい方がいいかとケンドーコバヤシ小林賢太郎も好きだと言いますが、あなたの周りにはお笑い好きはいないので不遇の日々が続きます。
 おわかいただけたでしょうか。あなたはジャニーズから離れます。10年ほど遠ざかり、今のあなたには信じられないことでしょうが、その10年の間に若干ジャニーズを軽視し始めます。

 それが嫌なら、すぐにその棚にみっちり詰まったVHSのツメをすべて折り、大切に保管するのです。捨ててはいけません。素顔3も処分してはいけません。なぜ箱だけ残して中身だけ捨てたのですか。「使えるかも」などと思ったのですか。使いません。あんな浅い箱を活用する知恵などあなたにはありません。猫の爪とぎの痕が残るだけです。
 ジュニア名鑑もカレンダーもプレゾンVHSも処分してはいけません。悲しい現実を突きつけるようですが、あなたがジャニーズファンに戻った時、もう米花くんは退所しています。ソーセージを焼いています。ソーセージくらい、と思うかもしれませんが、あなたは20歳を過ぎると肉が食べられなくなります。今のあなたはホルモンが大好きでしょうが、10年後はお肉の匂いを嗅いだだけで胸焼けするようになります。あなたに米花くんのお店に行く資格はありません。

 15年後のあなたが担当にするのは、今のあなたが名前すら把握していない塚田僚一くんです。早く彼を見つけなさい。そして成長をリアルタイムで見て尊びなさい。2015年、彼は人気者になります。スターダムを駆け上がる彼の姿をその目に焼き付けるために、彼の成長を見守るのです。
 ただ、あなたは古参ヅラするきらいがあるので注意してください。あなたは今、「ゴスペラーズ流行る前から知ってた」とドヤ顔している頃だと思いますがそれもかなり痛々しいのでやめなさい。

 どのような道をたどろうとも、きっと30歳手前であなたはジャニーズファンに戻ります。そうすれば今のあなたのように、また親から心配されるようになります。わりとガチの心配です。早いうちに孫の顔を見ることは諦めてもらってください。
 そうです。2015年、あなたは独身です。彼氏もいません。けれど心配しないで、あなたにはジャニーズという希望があるのだから。

 それでは、お体に気をつけて。10年後あなたは酒タバコが大好きになってるので本当に気をつけて。

 敬具